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漬物屋の昔話 3

料理屋の下拵えのお手伝いをしてたのも有ってか、祖父は相当料理自慢だったらしく、たまに業界の長老の方に何かの機会でお会いすると「あんたんとこのおじいちゃんは、そら食べもんにうるさい人やった!料理屋で食べてて、この煮物は不味い、とか言ってよう料理屋の大将と喧嘩しとった!

挙句の果てに自分で作っとた、でも確かにそこらの半ちくより料理は上手やった・・。」って聞かされました。

元々祖父だけでなくひいおじいちゃんも料理屋に出入りしていて、明治時代にはまだ貴重だった精白糖なんかをふんだんに使用して甘酢大根(今の柚子大根の原型)なんかを料理屋の大将のアドバイスで創作したと聞いてます。

この頃の漬物は色が地味と言うか黒っぽかったんで、白い漬物は色目を大事にする料理屋にはばっちり受けたらしく引っ張りだこだったそうです。

それが証拠に当時うちの大番頭さんだった井上さんが暖簾分けで独立して「近為」を立ち上げられ、本家を上回る商品をと日夜研鑚され大根と柚子を合すと言う当時としては画期的なアイデアの名作「柚子こぼし」が出来たのは業界内では有名な話です。

さて近清では一子相伝や秘伝の類は殆ど無く、技法として具体的に伝わる物は少ないんですが、只一つだけ必ず当代が守らなければいけない教えが有ります。

まあそれが漬物の極意?なのかってとこですが・・・。
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今日は野球ネタで。

キャンプも中盤、いよいよ球春到来って感じですが、一足先にWBC,サッカーで言えばワールドカップに匹敵する野球の世界大会が始まります。

前回のWBCのみならず、過去のオリンピックなどプロ野球選手主体のチーム構成になってからの各試合は、選手がまるで学生時代に戻ったかのような激しいプレーの連続に、見ているこちらまでわくわくさせられました。

三年前の初代チャンピオンの日本は、今回相当本腰を入れてきた、アメリカや南米の国々、更にはアジア盟主をかけての韓国など、ライバルは強力、うかうかとはしていられませんが、優勝l候補の一角である事には間違い有りません。

さて今回28選手の選考、ゴシップ雑誌を筆頭にかなり煽り立てましたが、マスコミの意に反してそれ程物議を醸さず肩透かし状態。

先ず先ずのチームが出来たと私は感じています。

現に格下の巨人、豪州戦はワンサイドゲーム、城島が8番、岩村が9番のチームで采配を振れる原は幸せもんだと監督経験者の某評論家が話していましたが、是は正に本音でしょう!

とにかく日本チームの健闘を祈るばかりですが、今頃マスコミでは、惨敗時の選手選考の不備、原監督叩き、イチローの悪口、選手間の仲間割れの原稿と、優勝時の中日落合監督バッシング、長島さんの応援美談、WBC首脳陣の裏側、両面を準備しているんでしょうね!?

漬物屋の昔話 2

何故それ程に京都では分業制が発展し、また下請けが馬鹿にされないのか?

この問題は意外と京都の食品や産物、産業の本質的な問題のように僕は感じます。

京都の産物には殆ど前に京とつけて呼びます、例えば「京漬物」「京豆腐」「京菓子」「京佃煮」
「京七味」「京ゆば」「京生麩」「京野菜」など等、枚挙に遑が有りません。

うちの商売で言えば、よく聞かれるのが、京漬物って何なんですか?他の府県の漬物とどう違うんですか?

答えは人それぞれ「京都の伝統の技法」「京野菜を使って」「京都の漬物は歴史が古い」なんかが代表的な答えですが、逸れは私の見解ではあくまで表面的なもの、本質的な物とは違うと考えています。

それじゃ何?

答えは京の地の特殊性、庶民の上に御所が有り、貴族が居て、寺社仏閣が存在した。

その地域性がゆえに京漬物は自分用の食べ物では無く、人の為の漬物、例えば献上品だったり、お得意先の要望に応えたものだったり、この辺が他府県の漬物と根本的に違います。

具体的に言えば、しば漬は建礼門院に献上されてその名前になり、すぐきは上賀茂神社への献上品として400年ほど前に作られた物、千枚漬は江戸時代末期に御所の宮廷料理人が考案した物、柚子大根のルーツは料理屋からの要望で作られた物などなど全て自分が食べる物ではなく、献上もしくは販売用に考案され作られ、改良され現在も伝統の京漬物として販売されています。

一方、大多数の全国の漬物はつい最近までその土地、土地の伝統食品として発達してきましたが、元は野菜の無い季節に保存食として生まれた物、この差は商品の形としてでは無く、理念として大きく違い、それが京漬物としての確固たる地位を築いたと言っても過言では無いと言えます。

他の京の付く商材も似たような事由で発達して今に至っています。

その自分用では無く、献上もしくは販売用の商品だけに、より専門的な技を必要とし、その専門性を分業制に求めたと言えますし、下請けは相手先によっては、その専門技術のお墨付きとして誇れる物となったのです。

意外と語られない京都の特殊な事情です。

漬物屋の昔話

漬物の昔の資料を調べる為にパソコンを回遊していたら、懐かしい日記を見つけました。

中々京都の古い漬物屋と言うより、京都の商家の仕組みがうかがえるんで、少し手直ししてこのブログに書いていきたいと思います。

ひいおばあちゃんが昭和34年の春に亡くなって夏に私が生まれ、祖父が昭和38年春に亡くなり秋に弟が生まれました。

ですから祖父の事は、はっきりとでなくうっすらと覚えています。

祖父(総本家近清7代目)は相当頑固者で気難しく、いわゆる明治の親爺ってかんじだったそうですが、私には非常に優しかった覚えが有ります。

京都中央市場はお店から自転車で12~3分で行けるんですが、いつも祖父は仕入れの際、私を自転車の荷台に乗せて通ってました。

市場の七条通側に「志津屋」という一階はパン屋、二階は喫茶店のお店が有って(今でも有る京都では有名なチエーン店のパン屋さん)殆ど毎日そのお店に寄っては、当時ご馳走だった「チョコレートパフェ」「ホットケーキ」「ビーフカツサンドイッチ」を片っ端から注文し、私に一口づつ食べさせていたそうで、市場仲間には「跡取なんで美味しいもんを食べて舌を肥えささんとあかん!」と言ってたそうです。

祖父は漬物の納品の傍ら、料理屋さんから野菜の仕入や下処理も頼まれていました。

京都は西陣で代表される様に分業制が盛んな街で、料理屋さんからしたら見習の小僧より漬物屋の親爺の方がよっぽど野菜の目利きと処理に精通している、それなら手間賃を払ってでも、下処理してもらった方がいいという考えと、祖父のよその漬物屋を出入りさせないという思惑が合致した実に合理的な仕組みだったと言えます。

付け加えると、製造販売ってお店も京都にはごまんと有りますが、西陣の織物のように各分野にプロの職人が居て、パート毎に責任を持って順々に流れていくシステムが有ります。

その分業制は当然、食品業者の中にも存在し、詳しくは申せませんが、各分野の専門家が順番に物を作り上げ、商品を仕上げ、更にはそれを販売するかくかくの小売のお店に合うようにプロデユースする専門家も居ます。

この仕組みは地方へ行くとかなり偏見を持たれる方もおられる様で、例えば「下請け」今で言うOEMですが、少し馬鹿にしたり卑下したりして言われる場合、場面も有りますが、京都の場合、納める先によってはステータスになる場合も多々有ります。

この仕組みは京都ならではだと強く感じます。

何故そのような形になったのか、私個人としてはこうじゃないか?って答えを持っています。

逸れは又おいおいご披露していきたいと思います。

おくりびと、オスカー受賞おめでとう御座います!

「おくりびと」が、アカデミー賞外国語映画部門最有力( 第32回モントリオール世界映画祭でグランプリを受賞し、いま最も注目を集める映画『おくりびと』と前評判が高かった)とは聞いていたが、本当に受賞した。

残念ながら私は見ていないので、いい映画なのかよく判らないが、既に周囲の噂では凄い映画と評判になっていた。

ここで本木雅弘が演じる主人公は、チェリストから納棺師へ“転職”し、「死」の現場に直面することで、送り送られる人間の関係性に思いをはせ、そのつながりを強く感じていく。

普遍とも思えるテーマに挑んだ本木は、一方で、いつまでも固定されることのないしなやかなイメージの人物。

兎に角、スクリーン上からも彼の誠実でまじめな人柄が覗え、今や名実共に日本の中堅では実力NO1の俳優。

監督の滝田洋二郎氏は、成人映画出身の叩き上げとも言える監督、一般映画でも

コミック雑誌なんかいらない!(1986年) 木村家の人々(1988年) 病院へ行こう(1990年)
病は気から 病院へ行こう2(1992年) 僕らはみんな生きている(1993年)
眠らない街 新宿鮫(1993年) シャ乱Qの演歌の花道(1997年)
お受験(1999年) 陰陽師(2001年) 壬生義士伝(2003年) 陰陽師II(2003年10月)
阿修羅城の瞳(2005年4月) バッテリー(2007年3月) おくりびと(2008年)
釣りキチ三平(2009)

一癖も二癖も有る監督のようだ!?

既に黒澤監督はハリウッドでは認知されていたが、あくまで逸れは時代劇、一般映画で受賞したと言うのが、日本映画の認知と言う点で僕は凄いと思う。

更にはアカデミー作品賞も、英国映画で舞台はインド。

どうやらハリウッド映画の地盤沈下は深刻なようで、確かにやたら旧作の焼き直しや、外国映画のリアップ、そしてヒット作の二番、三番煎じばかりが目立つし、その事に対してのアンチテーゼはここ数年、話題になってはいた。

私自身も以前は邦画など見向きもしなかったのに、最近劇場へ行って見るのは日本映画の方が多い、なんせ金が掛かっていない分、非常にきめ細かい。

そういう意味では、日本映画が、外国語映画ではなく、アカデミー作品賞を獲るのもそう遠い未来の話では無いと、映画好きの私は真剣に感じる。

頑張れ、日本映画

食べ物と温度の関係 5

またまた問題

「白ワインは冷やして、赤ワインは室温で、 嘘かホントか?」
(あくまで日本で、って事でお願いします)

ワインについては私素人の為、口うるさい客相手にワインを飲ませている祇園某ステーキハウスオーナーの説明をそのまま引用します。

「赤ワインは室温で」は間違い

ワインを美味しく飲む最大のコツは、適温で飲むことだが、これが以外に難しい、例えば、よく、「赤ワインは室温で」と言われますが、これはフランスでの話

フランスの伝統的な家屋は石造りなので、一年を通して室温が約16~18℃、この温度が赤ワインの適温

いっぽう日本の場合、夏の室温は25℃以上になるし、冬は5℃以下に下がります。

したがって、夏は室温で温められて生ぬるくなったワインを少し冷やし、逆に冬は反対に、冷え切ったワインを暖房の聞いた部屋でしばらく温めてから飲むのが正解ですね。

また、同じ赤ワインでも原料のブドウの品種が違えば仕上がりの味が違ってくるんで、そのワインの持ち味を最大限に引出す適温というのも微妙に違ってきます。

重厚な赤ワインは高めの温度で
フランスのボルドー地方の赤に代表されるカベルネ・ソーヴィニヨン種を主体に作ったワインはタンニンを多く含んでいます。
こうしたしっかりした味わいが特徴のワインは、16~18℃が適温ですね

フランスのブルゴーニュの赤に代表されるピノ・ノワール種を主体に作ったワインは、タンニンをあまり含まないので、渋みが少なくふくよかな味わい、その芳醇さは15~16℃でもっとも際立ちます。

てな具合だそうです。

ちなみに白ワインは基本的に12~3度が美味しいと、くだんのオーナーは申しておりました。

それにブラインドする時に温度をコントロールするとかなり通の人でも間違うそうです。

ただ一言、或る祇園の会員制ワインバーのママ曰く「ワインなんて難しい事考えずに適当に口に合うのを飲めばいいのよ!うちの店に来る客、月にワインだけで100万も200万も使うけど、ブラインドしてもカラッキシだもん、でもそこまで使うと美味いか不味いかは判るみたい」って酔っ払いながら申しておりました。

又或る酒造メーカーの方曰く「なんかワインって日本人、物凄く大層に考えていますけど、仏でも伊でも普通のビストロやレストランでテイステイングなんてしませんし、寒いときは温めてホットワインにしたり、氷入れる人も結構居ますし、酒の弱い人や子供は炭酸水やジュースで割って飲んでますよ!」

意外と気軽な飲み物を、輸入業者や水商売のだしに使われてません?

政治家の名言、迷言

昨日も書いたけれど、自民党の政治家はもうひどいを通り越してむごい!

何がむごいかって、その話と言うか言葉に重みも面白みも無く、無味無臭、「百術有って一誠無し」って奴である。

僕は名言集ってえのが大好きで、何冊か持っているが、過去の政治家の名言やスピーチは実に含蓄が有って面白い。

政治家の大きな仕事の一つは、今起きている現象とその対応策を判り易く説明し、理解させてくれる事、又その政治家の信念を伝える事だと思う。

そういう点では今の政治家、特に自民党の中堅は酷すぎる。

昨日早朝、テレビに出ていた自民党中堅議員達は、麻生政権や中川大臣、解散などの事を聞かれると二言目には「百年に一度の経済危機だから・・・」「地方は疲弊しきっている、今政治の空白は作れない」

馬っ鹿じゃないの、今の政権、今の政治状況こそが政治の空白だよって言ってやりたかった。

民主党の議員が、「もう百年に一度、とか地方の疲弊を人質にとって誤魔化さない!」って言ってたのが至極正論に感じた。

しかし腹立たしい!

ローマ在住の女性作家、塩野七生女史曰く「日本の国会中継を、日本へ帰ってくると必ず見ているけれど、代表質問の議員の決め付け方が下品、もっと洗練された答弁がいるわ」「政治は職業じゃないの!政治が職業なのは政治屋、政治はその人の生き様、その人そのものよ」

う~ん、言い得て妙ですね!

政治家なんて、このブログ読んでる筈は無いんだけれど、過去の政治家の名言至言を列記するんで、少しは肝に銘ぜよってんだ!(何故か怒ると江戸弁になる)

第55代総理大臣 石橋湛山

「政治家の私利心が、第一に追求すべき物は財産や私生活の楽しみでは無い、政治家が第一に求める物は、国民から沸き出ずる信頼であり、名声である」

これ位の事、言えんか!

J・F・ケネデイ

「或る人々は現実を見てこう言う「何故だ?」
私は不可能な夢を見る、そしてこう言う「やってみよう!」

是は有名なフレーズですが、訳し方で結構ニュアンスが変わります、でも僕はこの訳し方が好きです
リーダーたるこのくらいのスローガンをぶつけなきゃ!

更にもう一つケネデイ

この自由主義社会では、大多数の貧しい人が援助されないならば、少数の金持ちも救われない

議員さん、特に竹中さん、よう聞いときや!

徳川家 榊原康正

「老臣、権を争うは亡国の兆し」

二代将軍秀忠から老中にと、請われたが家康の家臣は身を引き、後身に道を譲るとの想いをこう表現したと伝わります。
今の政治家も老醜を晒さず、定年を自分で決めなきゃ!

まだまだ有るけど今日は是くらいにしといたる!

怒りを表現する為、下品な表現、言葉使いを致しました事、深くお詫び致します。

永田町の帝王

もう時代錯誤も甚だしい言動が飛び交っている永田町、その中から笑らい話を一つ

「自民党各派事務総長と河村建夫官房長官が19日夜に都内の日本料理店で開いた会合は、酩酊(めいてい)疑惑を招いた中川昭一前財務・金融相の辞任を教訓に、異例の酒抜き会食となった。 

店ではフグ料理が出されたが、出席者の一人は「お茶ばかり飲んでいた」とこぼした。
幹事役だった伊吹派の谷津義男元農水相は記者団に「酒は飲ませなかった。飲みたいやつは早く帰した」と自慢げに説明。

馬っ鹿じゃないの!
何を自慢げに話してるの!!

そして最も酷い話を一つ

自民党道路族のドン、そして同和利権の権化、古賀誠。
今や次期衆院選は民主党新人と互角との雑誌予想。

そんな彼の最近の選挙区での演説

「私の選挙区の大牟田市は、人口が倍以上居る久留米市より交付金が多い、事ほど左様に地元に貢献している、この私が落ちれば、更には自民党が負ければこの大牟田に道路は通らず、ショッピングセンターもガソリンスタンドも出来ない」

まだこの人、こんな話を堂々と言ってます。

ここで一曲 椎名林檎ならぬ腐った林檎で

「永田町の帝王」

選挙の声を聞く度に 目に浮かぶ苦渋の日
皺々の祖母の手を離れ 独りで訪れた大牟田市

古賀は此処の超王様 生き地獄の選挙民
だれしもが手を伸べて 子供ながらに魅せられた自民党

選対委員長に成ったあたしを 置いて支持者は消えた
毎週テレビに出ていた民主党にいれるのだろう

「一度栄し者でも必ずや衰えゆく」
その意味を知る時を迎え足を踏み入れたは柳川市

消えていった交付金を憎めど夏は今
道路族という肩書きを未だ誇らしげに掲げる

議員に成ったあたしが売るのは利権だけで
それを無くした時に全てを失うだろう

半蔵門線永田町の東口を出たら
其処は魔窟の庭 大遊戯場永田町

今夜からは処の町で小沢の狸が帝王~

お粗末

食べ物と温度の関係 4

では又またクイズです。

牡蠣はRの付く月が美味しい 嘘かほんとか?

美味しんぼから引用したんでご参考に

http://www.asahi-net.or.jp/~AN4S-OKD/private/bun/man00946.htm

少し補足すると、仙台の牡蠣の養殖場の専務と一度ゆっくり飲んだ時の話から。

「牡蠣がRのつく月に美味しいってえのは、間違いじゃないんですよ!但し正確にはヨーロッパでの話、ドーバー海峡沿岸辺りの牡蠣が9月くらいから美味しくなり、イギリスの一部地方ではそう言うらしく、おそらくは明治時代英国留学していた学者や軍人、政府関係者がお洒落な話なんで日本へ持ち帰ったんでしょう!?一説によると福沢諭吉が言い出したって聞いてます。」

「イギリス沿岸やノルマンデイー、ボストンなんて欧米の牡蠣の有名な所は全部海温が低いんで、早い時期に牡蠣の旨味の成分と言えるグリコーゲンをたっぷり溜めるんですが、日本ではまだ秋は海温が高い為、グリコーゲンが少なく身が痩せて美味しくないし、栄養も少ないんですよ!やっぱり一番いいのは仙台でなら2月以降、圧倒的に春の方が旨いですよ!」

だから答えは日本では嘘!

ここでも牡蠣の旨さに海温が影響してきます。

少しは無しは逸れますが、今は牡蠣の季節真っ只中なので付録で

生食用牡蠣と加熱用牡蠣では生食用のほうが新鮮って時々言う人がいますが、少し解釈が間違っているようです。

仙台牡蠣養殖業者さんの話の続き

「生食用と加熱用の大きな違いは食品衛生法の問題なんですよ。
加熱用牡蠣の場合、後で加熱による殺菌が見込まれる為、出荷時の牡蠣の生菌数や大腸菌群数の基準が無い、つまり検査無しで出荷出来るんですが、生食用の場合、生菌数が1g辺り1万以下、大腸菌群数陰性って検査をパスしないと出荷出来ません。」

「その為、生食用牡蠣は洗浄後(是は加熱用牡蠣もします)少なくとも24時間はオゾン水や次亜鉛水等の殺菌消毒水に浸けて検査後出荷します。」

「ですから或る意味、お客様に届く時間から言えば加熱用牡蠣の方が新鮮です。」

「又勘違いで生食用の方が新鮮だから生食牡蠣を牡蠣フライにしたり、蒸したりする人がいますが、基本的には殺菌の為、旨味は落ちているので、かえって美味しくないです。」

ちょっとは参考になりましたでしょうか?

どうです、牡蠣フライや酢牡蠣が食べたくなってきたでしょ!?

食べ物と温度の関係 3

先回、果物は冷蔵庫に入れたらあかんって話を書きましたが、実は果物ほどではないんですが、野菜でも冷蔵庫に入れない方が良い物が結構有ります。

冷蔵庫に何でも野菜を入れると実は、低温障害といって、味がおちる事が証明されています。

元来果物は温帯や熱帯の産物、そやし長時間冷蔵庫に入れて冷やしすぎたらあかんって話ですが、野菜はもう少し事情が異なります。

少し大袈裟ですが、野菜は収穫後も生きているって事が保存方法で重要なキーワードとなります。

保存中に野菜は呼吸など生きようとする活動を行いますが、それは、品質がどんどん低下していくことを意味します。

従って、野菜を長くおいしく保存するには、この活動をおさえ、栄養成分がエネルギーとして使われないような工夫が必要です。

また野菜は育った状態での保存が望ましい、とも言われるんです。

とりあえず八百屋と漬物屋で培った保存の知恵ですが、冷蔵庫で冷やし過ぎてはいけない野菜

夏場でもいれないほうがいいもの

しょうが、サツマイモ

夏場以外はいれないほうがいいもの

じゃがいも、サトイモ、タマネギなどの根菜類、・ナス・トマト、ゴーヤ、

微妙な野菜

蕪、大根、(あんまり冷やし過ぎると味が落ちる)

基本的にどんな野菜でも冷蔵庫より風通しのよい涼しいところのほうが、おいしさも、鮮度も保つことができます。

晩秋から早春にかけては野菜は冷蔵庫に入れない方がよいって覚えて置いてください。

特に根菜類は冷やしすぎ注意!!

余談ですが温度じゃなく保管方法で差が出るテクニック

立てて保存したほうがいい野菜

横に寝かせると上に成長しようとするので、無駄な栄養や糖分を使い果たし、結果的に腐りやすくなってしまう野菜

ほうれんそう、しゅんぎく、その他なっぱ類全般、アスパラ、カリフラワー、ねぎ、スイートコーン

余談序に保存の際、相性のいい物

有名なものに、じゃがいも&りんごがあります。林檎がだす成分(エチレンガス)に、じゃがいもの芽の生育をおさえる働きがあります。

更に水分を与えたほうがいい野菜

(湿らせた新聞紙などに包んでポリ袋にいれたてて保存)
ほうれんそう、小松菜、春菊などの葉野菜 、白菜、大根


与えないほうがいいもの(水滴をふきとり、ポリ袋へ。ラップや新聞紙などに包むとよい)
きゅうり、なすび、ブロッコリー、カリフラワー キャベツ、ピーマン、等

根菜類は、泥つきのままのほうが、長持ちするようです。かご、ダンボールなどに、よごれないように新聞紙などをひいて、かぼちゃ(まるのままのとき)、たまねぎ、さといも、さつまいも、などを風通しのいい光の当らない場所においておくのが一番。

たまねぎ、にんにくなどは、ネットにいれて、涼しい所でつるしておいたりします。
水分が飛んで甘みが増します。

昔からあるんですが、最近一般的になった雪ノ下野菜、そう収穫後、雪ノ下で保存して糖度を高めるって保存方法。

野菜は収穫後も生きているって話書きましたが、一気に寒くなると栄養を溜めようとして結果的に糖度が上がる事を利用した保管方法、雪国の人の知恵です。

食品と温度って物凄く大事だと言うことがよく判ります。

断末魔

文末の拍手ってえとこをクリック頂くと、数字がカウントされる仕組みになっているようで、其処の数字でその記事の受けを判断する仕組みだそうです。

今のところ、バレンタインの記事が一番受けたみたいです。

また色々と参考にしたいんで、面白かったり共感された場合は拍手、クリックしてやって下さい。

さて中川財務相が結局、火曜日の夕方に辞任されました。

午前中、病院へ行った時点ではまだやる気満々でしたが、昼過ぎからは野党のみならず、仲間内の与党からも非難轟々、まだそれでも予算案通過と引き換えに辞任って都合のいい話でしたが、野党側の審議拒否、参院の問責決議案提出の前に流石にもうこれ以上は無理って判断をされたようです。

今回もやはり麻生総理は中途半端な煮えきらぬ対応、後手後手と廻り、本当に芯の無いと言うか軸の定まらぬ人です。

是によって総理は盟友と予算審議の担当責任者を失い、与党内の求心力は殆ど無し、支持率は10%以下、もうレイムダックどころか断末魔の悲鳴が聞こえてきます。

本来ならここで自民党から誰か救世主が出てきてもいいような物なのに、逸れも居ない。

麻生政権どころか自民党が崩壊目前です。

そんなどたばたの日にヒラリー・クリントン国務長官の来日、分刻みの過密日程をパワフルで有りながら、常に絶やさぬ優しい笑みと共に精力的にこなして行かれた。

流石に大統領選を乗り切ってきた人は一味違う!

あの眼力、こわもと振りは大統領より国務長官のほうが似合ってるように思ったのは私でしょうか?

日本の政治家は苦労知らずの二世議員ばっかりだから駄目だって上杉某が看破しているが、今回米国務長官のあの体力、知力、胆力を見て、つくづくほんまやな~と感じました。

あ~ほんま悲しい話です。

さあ早く解散して下さい、もうこれ以上麻生政権続けば日本沈没、今最大の経済対策は解散総選挙です。

国辱

遅ればせながら今日のタイトル、何かと言うと、中川財務相の醜態、あの会見は酷かったです。

前時代的に言えば国辱もんです。

是で一気に麻生内閣支持率も急降下、是が止めでしょう!

参院から問責決議案で総辞職、こんな流れになって来ました。

いよいよ先の小泉さんの発言も有り、小池百合子総裁が目前に迫り、小池総理で選挙。

でも今回、政権交代なければいよいよ日本沈没です。

勝谷某が、自民党は駄目な男、民主党は頼りない男、どうせなら頼りない男に一度任せよう!ってコメントを僕も推します。

昔読んだサンクチュアリって漫画。

荒筋はカンボジア難民の少年二人が、日本に帰ってきてあまりのぬるさ、退廃振りにショックを受け、一人は表の顔、政治家、一人は裏の顔、やくざになり協力して日本を変えようとする、サンクチュアリを作ろうとするって漫画なんですが、なんか今の閉塞した政治状況を見事に予見していました。

ほんま早く総選挙やって、老人と世襲議員、このぼんくらどもを落としたらちょっとは日本もましになる事でしょう!

少し興奮して汚い言葉を使ってしまいました、風邪薬の影響だと思います(笑)

食べ物と温度の関係 2

先ずは皆さんにクイズを一問!

果物は冷蔵庫に入れない方が良い? 本当か嘘か?

大学を出て直に関西屈指の高級スーパーへ就職、青果センターって部署で一年間、ひたすら朝から晩まで野菜を洗い蘇生させるお仕事、次いで二年間、芦屋と言う関西でも屈指の高級住宅街、関西量販店(デパートも含む)の中でも、最も果物に神経を使うお店で、ひたすら果物を管理、次いで東京は二子玉川に有る高級スーパーで半年間、青果担当
その後二十数年間漬物屋と、野菜の取り扱い、保管だけは自信有るんです。

前置きが長くなりましたが、質問の答えはホントが正解です。

基本的に果物は温帯や熱帯の産物、低温を嫌います。
更に果物は収穫された後も呼吸は止まらず、熟度を上げていきます。

東国原知事効果で一躍有名になった完熟マンゴ「太陽の涙」って有りますが、あれでさえ100%熟している訳でなく、更に追熟していき、管理が悪いと熟し過ぎて酸敗、腐敗へと進む為、熟した果物の管理は非常にデリケートです。

ですから市場に出回る殆どの果物は熟す手前で出荷、流通過程と販売過程で熟度を上げながら販売するのが常道、ですから高熟度の果物は管理が難しくロスも多い為に高額になります。

冷蔵庫の話に戻ると、大多数の果物が一番適度に追熟していくのは15~20度とされ、それ以下の温度では元々の糖度が下がる事が判っています。

その温度帯が適している代表的な果物、メロン、キウイ、西瓜、葡萄、マンゴなんとなく納得されると思います。

私の働いていた芦屋の店では、メロンは常は18度程度の冷蔵庫に保管し一日2回は点検して熟度を管理、食べ頃を店頭の冷蔵庫に陳列し10度~12度で熟度が進まない様に管理、朝昼晩三回はしていました(さすがにメロンだけで、後はそこまできっちり管理していませんでした)

ただ矛盾するようですが、果糖は冷やすと甘く感じる為、生温い温度で食べるより10度前後で食べた方が良いっていうのも判っています。

ですから果物の美味しい食べ方は適度に熟した果物なら涼しい所で保管、食べる1時間前に冷蔵庫で冷やして食べるんがベスト、少し硬くて酸っぱい場合は今一度、涼しい所に置いて時間が経ってから食べましょう!

食べ物と温度の関係 1

毎日新聞を引用させて貰います。

農林水産省は10日、炊いたコメを使ったおにぎりや弁当などを対象とする、新しいJAS(日本農林規格)制度の導入を決めた。ご飯の食味や品質を維持するため、流通過程で温度を一定に保つなどの条件をクリアした食品にJASマークを表示し、消費者においしさや安全をアピールできるようにする。

 新規格は「定温管理流通JAS」。弁当などの製造直後から小売店で客が買うまで、適温で管理されることが認定の条件になる。コメは冷えると硬くなり、温度が高いと腐りやすくなるため、コンビニ業界などは専用の配送車などで管理している。新たなJASは、こうした取り組みを後押しする狙いもある。

 JASは、農産加工品の品質を保証するものと、農畜産物の生産方法を表すものがあるが、流通方法に着目したのは初めて。同省は業界への周知期間などを経て、早ければ今年10月ごろには、表示できるようにする方針だ。【工藤昭久】

一見何でもないような話ですが、実は結構画期的な話で、今までJASは原料や製造工程等の製造現場には留意していましたが、流通過程、しかも温度に対して関って来たのは戦後初めて、と言うよりも規制や承認の世界では初めての事と言えます。

じゃあ、今まで注目されて来なかったんだから、食品と温度の関係ってそれ程大事じゃないの?って話になりますが、実は是は大間違い。

食品と温度の関係は本当は物凄く重要で、作り手は常に温度を頭に入れて製造している、と言うより加工食品のみならず、温度が如何に食品の取り扱いに関して大切な事かは古代から皆知っている、ただ法律や規則に縛られてこずに少し軽視されていたって感じでしょうか!

いい機会なので、食品、加工食品それぞれに分けて関係性を考えて見たいと思います。

続く

今日はバレンタインデー!

今日はバレンタインデー。

バレンタインの名を借りて、愛の告白をする人もいれば、義理人情を確認する人、親子の会話に使う人、「お店に来て、チョコ渡したいから」なんて商売をする人、様々な方がおられると思います。

世の中の三分の二以上がこのセレモニーに
参加しているのではないでしょうか…?

欧米ではチョコに限らず、また、女性から男性へ…という決まりもないそうですが、日本では主にチョコを女性から男性にってのがポピュラーな話。

バレンタインデーを本格的に日本に紹介したのは「モロゾフ」って言うのは有名な話ですが、チョコのプレゼントの仕掛け人は、メリーチョコレートカンパニーというところの原邦生さんという方なのだそうです。

この方が50年前の1958年、新宿の伊勢丹と組んで大々的にバレンタインフェアーとしてチョコを店頭で販売したのが始まり。

ただ当初は全く売れなかったそうですが、いつの間にか数百億円の市場規模のベントにまで成長しました。

この伊勢丹のフェアーのきっかけは、ニッパチ(2月・8月)の商閑期に、売上げが上がる方法はないか…というそれだけのこと。

この原さんと菓子の担当者、或る意味日本の文化を作った偉人と言えます。

この行事には色々と思うところは有るんですが、難癖つけるのも野暮な話、止めときましょう(笑)

兎にも角にも今日は大いにチョコレートを楽しみましょう!

新撰組ってほんまに強かったの? 5

さていよいよ本題の新撰組ってほんまに強かったの?って事ですが、結論から言うとほんまに強かったようです。

何故強かったのか?を検証すると大きく3つの要素が浮かび上がります。

一つ目は、いわゆる志士の中にも竹刀剣術では免許皆伝、師範代等の者がごろごろいましたが、先に書いたように実戦の日本刀を振り回すのとは別の次元の話。

ましてこの頃の志士はどちらかと言うと密談や打ち合わせ等の会議々であまり剣術の稽古はしていなかったようです。

一方それに反して新撰組は暗殺集団、刺客軍団、日々の剣術練習がお仕事、竹刀剣術の稽古も日に数時間行い、素振りと言うか、日本刀の打ち下ろしも必ず毎日みっちりしたようで、この練習量、稽古の差は実戦で大きく違った事でしょう!?

二つ目は新撰組の隊規則、いわゆる局中法度の厳しさでしょうか!?

新撰組の場合、隊員の死者は相手に斬られた数より、内部粛清の数の方が多いと言う記録がありますが、敵前逃亡、脱走等士道にもとる行為はびしびし切腹や斬首など厳格に処分された史実が残っています。

早い話、敵を前におどおどしていたらこっぴどく怒られる、それが続けば切腹させられる、反面ばんばん敵を斬り殺せば、階級が上がり下の者を最前線に送り出す側に廻れる、敵に斬り殺されるより、上司に殺される方が確率が高い恐ろしい集団が故の底力が有ったと考えられます。

最後に3つ目はテクニカル、新撰組暗殺剣技とも言える集団殺法が確立されて居た事です。

新撰組の主たる戦闘舞台は広い剣道場や野原ではなく、狭い京町屋。

普通に上段に構えて、なんて剣技では通用せず、殆どの隊員が先ずは突きで相手に傷を付け、出血により弱った所を斬ったとされています。

更に通常の道場では有り得ない、前後左右からの攻撃、後ろからの突き、足下への攻撃など、本当に実戦に即したチームプレイで相手を仕留めて行きました。

付け加えれば、実戦経験が豊富だった事も上げられます。

しかし検証していくと本当に恐ろしい集団だった事がよく判ります。

新撰組ってほんまに強かったの? 4

さて沖田荘司がむちゃくちゃ強かったって話の続きですが、是はあくまで私の個人的な意見、推測ですが、剣技に優れていた以上に、沖田はメンタル面で恐ろしく強かった、と言うよりも狂気に近い精神状態だったと考えています。

メンタル面で強いって言うのは、現在のスポーツでプレッシャーに強いってレベルじゃ無しに、へっちゃらで何の躊躇いも無く人を斬り殺せる精神の強さ、少人数で何倍もの敵に斬り込んで行けるその狂気、その源泉はなんだったんだろう?って考えると彼の精神の特殊性がよく判ります。

現存する多くの資料に出てくる沖田は、官軍側からの描写では有りますが、鬼神の如く、斬り込んで来て、かすかに微笑みながら片っ端から志士を斬り捨てる、まるで殺人鬼と描写されています。

ところが彼は暇な時は新撰組の屯所近くで子供と遊んだり、若い隊士をリラックスさせる為に冗談を言ったり、いたずらをしたり、又療養中は非常に穏やかな青年だったそうで、殺人鬼とまで志士達に恐れられた沖田は本当にこの人?と周りの人間はいぶかったとさえ言われています。

この二重人格ともいえる沖田の変わりようが彼の異次元の強さに繋がったと私は考えます。

沖田が近藤を心の底から愛していたって言う事は本当に有名で、結核で療養中に久方ぶりに近藤が見舞いに来ると、「近藤さんに会えた、会えた」と喜んでおいおい泣いたと伝わります。

又、近藤勇が斬首された事実も、沖田に伝えると後追い自殺すると廻りの者は沖田が死ぬまでひた隠しに隠していたそうです。

近藤は沖田の剣技では師、プライベートでは兄、関東に居る時から片時も傍を離れず、京都でも討ち入りの際は常に近藤と行動を共にしていました。

笑い話ですが、近藤が遊郭に女遊びに出かけた際は、沖田はまるで忠犬のように帰りを待ち侘びていて、近藤が「総司が待ってるんで、ゆっくり女も抱けねえよ」って嘆いたと伝わります。

さてここで沖田の狂気の話に戻りますが、この近藤への心酔が彼の強さを最大限に引き出したと考えられます。

沖田は若年にして,隊の重職を担い、近藤からは絶対の信頼を置かれていました。

その責任感、そして近藤への強い愛情、その二つの要素から近藤に褒めて貰いたい一心、役に立ちたいその想いだけで志士を惨殺して行ったのでしょう!?

彼は恐らく斬り込む恐さ、命のやり取りの恐怖など、近藤に褒められる嬉しさに比べればへでもなかったのでしょう!

これこそが沖田の強さの秘密だったと私は考えます。



新撰組ってほんまに強かったの? 3

さあいよいよ本題の新撰組ってほんまに強かったん?って考察に入って行きたいと思います。

新撰組一の剣客と言えば沖田 総司、今もドラマや小説等で彼の天才剣士振りは鳴り響いていますが、実際はどうだったんでしょう!?

彼が結核で早死にしたって事は有名ですが、享年27歳、療養期間が2~3年有る為、新撰組で活躍した期間はほんの2~3年と推測されますが、実戦派剣術天然理新流の塾頭を19歳で務めた事、江戸に出てからも、名を上げる為ひたすら戦い、十数か所の道場の代表を駆逐した事からも、少なくとも彼が竹刀剣道に秀でていた事は間違い有りません。

しかしながら竹刀、木刀で仕合を行い、負けた相手に大きな怪我をさせないのが名人と言われる剣道と日本刀を使って少しでも傷を負わせ、命のやり取りを行う剣技剣術では全然別の次元の物。

ゴルフで言えばスクリーンゴルフと、フルバックから回る本コースくらいの差、通信手段で言えば狼煙と電話くらいの差は有るんじゃないか?と思います。

そういう意味では実戦派剣術で、主に木刀で仕合い、骨折者や失明者がばんばん出たと言う理新流は、言い方は露骨ですが、殺し合いに適した流派だったと言えます。

なぜ理心流がそこまで実戦に拘ったのかと言うと、いわゆる名門道場ではない地方の無名田舎道場、弟子も武士でも下級武士ばかり、殆どが百姓出身のやさぐれ者、いわゆる成り上がりたい者ばかり、綺麗な剣術を覚えるより、とにかく強くなって立身出世したいと言うスタートと言うかスタンスが全然違う豪の者の集団だったと考えられます。

理心流の道場主は近藤勇の養父、一応近藤勇が師範で沖田は近藤の弟弟子、入って直に塾頭、後に師範代を努めますが、近藤と仕合って3本に2本は沖田が取っていた、しかもその負けた1本も心から敬愛する兄弟子の近藤に花を持たしていたもの、と伝わっていますし、後の文献でも新撰組時代、竹刀の稽古では土方、山南、安藤、小川、斉藤等の尊攘派が見るのも嫌がった殺人鬼集団を子ども扱いしたそうで、結論から言うと本当に桁違い、ダントツに強かったようです。

更に実戦、殺し合いに於いてもその強さを証明、沖田はいつも少人数で多人数の志士を襲撃、その在籍期間全て最前線で戦い、一度たりとも負けていませんし、目的の相手を逃していません。
史実では池田屋にて謀議をこらしていた20数名の尊皇攘夷派志士に対し、近藤と二人だけで切り込み、九名を切り殺したと伝わります。

新撰組殺人剣法と恐れられた集団剣技と、沖田の強さは異質で、沖田個人が異常に強かったのは先の史実でも証明されていますが、何故そこまで強かったのでしょうか?

私が言うまでも無く、過去の色々な作家や剣道関係者が分析をしていますが、概ね沖田の得意技は突きで、しかもそれが尋常ではない速さ、いわゆる一足踏み込んで三回突きを放った(是は人間業では不可能で現実問題無理だそうです)って言うのはオーバーにしても凄い速さの突きで相手に手傷を負わせ、弱った所を斬り伏せていったようです。

この話は非常に納得でき、戦国時代でも実際問題、圧倒的に斬り伏せる刀より突き下す槍の方が有利だったのは証明されていますが、更に昔の屋根が低く間口も狭い京都の家屋、突きが一番有利だったことは素人でも判ります。

五番町のすっぽんの大市さんや、島原のお茶屋輪違屋さん等には、未だ幕末の斬り合いの傷が残っていますが、屋根や梁、桟に傷跡が有るのは勤皇の志士の刀傷、だから残った刀は刃こぼれをしていたが、新撰組は実戦では突いて来たので傷跡を残さなかったと言われます。

続く

新撰組ってほんまに強かったの? 2

さて新撰組がほんまに強かったの?って検証に入る前に、新撰組がどのように京の人間に畏怖され、そして愛されていたのか?を先にお話します。

新撰組が京の地に降臨し、活動したのはほんの数年ですが、その短い期間で、まるで毎年変態する蝉の如く激しく体制を変えています。

初期は食み出し者の寄せ集め、都人からは蔑みを込め「壬生浪」と呼ばれ、ゆすり、たかり。。食い逃げ当たり前の東から来たごろつき集団でしたが、粛清を重ね徐々に勲功を挙げ、徳川方から報奨金を貰い受け新撰組と名乗り始めた頃からは隊規も厳しくなり、京の一般衆には極力、迷惑を掛けない集団へと生まれ変わって生きます。

京都の人間は基本的に蝙蝠、時の権力が左右どちらにぶれてもいいよう、他所から来た権力集団には着かず離れず御付き合い致しますが、ただ天子様、御所だけには絶対の忠誠を誓うお国柄。

その観点から当時勤皇派の松平容保お墨付きの新撰組は、元々京の人々には受け入れられる土壌は有ったと考えられます。

ここで前回の話に戻りますが、歴史は勝者が作る物、倒幕の志士がさもヒーローで、京の人々が守り通したかのように、テレビドラマや小説で描かれていますが、実際の所、田舎もんの野暮天と扱われていたようです。

更には長州藩関係の志士は、御所に刃を向けた不埒な輩と実際は嫌われていたと伝わります。

そんな中、敗者の新撰組が悪魔、鬼畜と志士側から忌み嫌われていたのに、今に伝わる歴史や国民感情がそうでもないのは、本当は京の庶民、また朝廷からは愛されていた証明になります。

実際問題、美男の沖田、男、近藤勇、鬼神、土方とどちらかと言うとヒーローとして伝わり、新政府の思惑は大きく外れたといえます。

元々、勤皇の志士が浮名を流したり、庇い立てしてもらったのは全て置屋や旅館、料理屋など水商売関係の女性や関係者。
つまり商売絡み、いいお得意先様だったからとも邪推できます。

ちなみに幕末、京都で一番もてたのは誰って言う質問が有れば、答えは本当に簡単で、郷里に許婚が居ながら11人の一般人の恋人を持ち、更には島原、上七軒、祇園、北新地全ての花街の花魁が恋人だった土方を置いて他に誰も居ないでしょう!!天晴れ!歳三。

新撰組ってほんまに強かったの? 1

昨日の続きになりますが、新撰組の本拠地が本願寺に有ったって事から、私の生家の地域は親新撰組の傾向が強かったように思います。

元々歴史は勝者が書き残す物、勝った者が自分達に都合よく歴史を作って行くのは古代からの慣わし、更には話として面白い物、ドラマ性の有る者が良い人と書き記されて行きます。

前者の典型なのは豊臣秀吉、後者は忠臣蔵でしょうか!?

豊臣秀吉は誰もが知る百姓、農民の出から天下を取る日本一の立身出世ストーリーを演じますが、その秀吉は天下平定後、かなり自分に都合よく歴史を書き残している事は史実ですし、最後は自分の出自を足利氏とまで書かせています。

話はちょっと脱線、現在の読み物、ドラマでは秀吉は権謀術数に長け、あんまり強くは無く、奇策のオンパレードでのし上ったようによく描かれていますが、がちんこの戦いも得意中の得意で真正面の白兵戦でも光秀と双璧だったとされ、事実信長はその時々の一番強い相手には秀吉をあてています。

忠臣蔵も赤穂浪士が絶対的に善人に描かれていますが、浅野氏がきかん気の強い短気者で、吉良上野介がそんなに悪人ではなかったのも史実として残っています。

幕末、長らく続いた江戸幕府が終焉、新たに西日本の有力大名を中心とした政府が日本に生まれ、今に至りますが、京の地はその物語のど真ん中に位置し、様々なドラマの舞台になっています。

今でも幕末の史跡、とりわけ新撰組と尊攘派志士の遺跡は多く残りますが、勝者に偏っていないところが京都らしいと感じさせます。

続く

えっ!近清が新撰組浪士を助けた!?

幕末、京の街を跋扈し、尊攘派志士を震撼とさせたあの新撰組
その新撰組の若い浪士たちを近清が助けたって言うのは
少し大袈裟では有りますが、全くの出鱈目じゃないんです。

と言うのも、元々近清は初代が江戸時代半ばに本願寺寺内、
最北端の楽市に店を出したのが起源、本願寺のど真ん中を
通る西洞院(にしのとういん)川が発祥の地。

そんなご縁で、江戸時代半ばから明治初期まで
おひがしさん(東本願寺)おにしさん(西本願寺)
どちらのお膳場にもお漬物を献上していました。

元々お寺さんは精進料理、朝昼晩とお漬物は
決して欠かせない必須アイテム、それゆえ当時の店主は
色々と工夫を重ね、様々なお漬物を考案したと
今に伝わっています。

そんな中、1862年に30人ほどの壬生浪士隊として産まれた
新撰組が名声を浴びると共にどんどん膨張し遂には200人規模の
大所帯に、さすがに壬生の屯所では入りきれず、当時の京都守護職
松平容保の計らいで1865年から解散の1867年まで
西本願寺を本拠地として活動します。

その時、新撰組浪士の胃袋を支えたのが、門前の商人達。
お漬物は必然的に近清が。

そんな中、浪士達にとりわけ珍重され喜ばれたのが、
様々な種類の奈良漬と本干のぬか沢庵。

新撰組法度に「迅速な出動を要すべし」と記されていますが、
今の消防隊員のようにいつ何時出動が有るか判りません。
ただ一旦出動してしまえば、是がいつ終わるかも判らぬ勤め
腹が減っては戦は出来ぬと言いますが、

桶狭間の戦い、かの織田信長が「敦盛」を舞った後、茶漬けを
かっ込み出陣したっていうのは有名な史実、出陣前に
腹ごしらえに茶漬けをかっ込むのは武士の慣わい

新撰組浪士が出入りしていた西本願寺お膳場には
常にどんぶり鉢に近清の納めた沢庵と奈良漬がみじん切りにして
盛られ、いつでも茶漬けをたらふく食べられる様に
準備されていたそうです。

どうです、あながち近清が新撰組浪士を助けたってえのは
法螺じゃないでしょう!?












英国への憧れ

今日は昨日ミクシーでマイミクさんと交わした内容がなかなか面白かったので引用させてもらいます。

日本は将来英国のような枯れた国に成れれば!そう書き込んだらイタリアから

>日本も英国のような枯れた国になれればいいんですが

 下野さんという週刊朝日にも書いていた有名な自動車ライターの方がいらっしゃいますが、15年くらい前にそんな話をしたんですよ。イタリアに住もうかなと思っていた頃で、「日本も物を長く使うような、アメリカ的スクラップ&ビルドはもうやめて、欧州的な何事もスパンの長い社会になった方がいいのでは」って。しかし、九代目兄のおっしゃるように、「社会構造的な問題もあるし、もし日本がそうなったら資源を持たない国は…」という意見でした。僕は価値観や意識が変わること(日本人はわりと簡単。流されやすいし)、そして、食料自給率が上げること(貴兄の専門分野かと思いますが…)で、今とは異なるけど良い社会ができるとは思うのですが…。

僕は日本が成長期を経て、成熟期、衰退期となった時に目指すのは欧州では一番日本的な英国だと前から考えていましたが、構造的な物や植民地を持たない日本では物理的に無理、ここはやはり文化は欧州、経済は米国と言う形がいいのでは?と思っています。

なんで日本型じゃ駄目なの?って思われるかも知れませんが、実は僕個人は日本型が一番いいって思っています。

ただこの国の文化人やマスコミ(一般人も)は外圧と言うか白人に弱く、具体的にはヨーロッパに学ぼうって意見の方が浸透速度が早いんです。

だから自給率もおフランスは200%ですよ!って言うと効くんですよ(笑)

更に僕は根がラテン系なんで、どうしても英国に憧れが有るんです。
いわゆる自分に無い物を欲しがる、それにイタリア人の友人は居ないんですが、英国人の友人は数人居てみんな善い人なんです、独特の正義感と言うか義務感は好感を持ちました。

って書き込むと

>根がラテン系なんで、どうしても英国に憧れ
 するどい! イタリアでは両家の子女は皆、イギリスに留学させます。九代目ってイタリア人だったんだ!

そう人間って自分に無い物(反対の物)に憧れます。


私はO型の脳天気の女と酒と博打好き、還暦過ぎて酒とバラと音楽の日々ってええのが理想なんです。

何と無く英国人に居そうにないでしょう!?

節分お化け、観に行ってきました。

昨日は節分お化け、もう平日の雨の中、長年の義理も有り、無理繰り呼ばれて行って来ました。

仕事が終わったのは21時前、取り合えず下地作りに縄手四条下がる、鉄板焼きの「あぶさん」へ。

あては牡蠣バターと卵焼き焼きそば(焼きそばを作って、卵で固めお好み焼きのようにして食べます、お腹一杯になります)

寒い街頭からいきなり鉄板の前に着席、急に温度が変わり暑くて生ビール一気飲み。
ところが僕は冷たい飲み物弱いんで、次は焼酎お湯割りに、すると又暑いんできんきんに冷えた生ビールに、この繰り返しを三回したらなんか急に酔っ払いに。

次は子供時代に可愛がってもらった元芸妓さんのスナックへおよばれに 。
まあ今日出てきたのはこの為です。

なんか元芸妓さんってんでエロチックな事を想像される方もおられるでしょうが、お相手のおかはんは三人、もう既に楽隠居で御歳足して220歳、仮装せずしてお化け(ごめんなさい)
普段は他の方に任せられているんですが、年に数回、旧客が集います。

僕が未成年の時からお使い物の漬物を配達しては、お酒を奢って貰い、長じては女性問題の相談相手、もうほんま逆らえないんです。

僕も子供を持つ今年は数えで50歳のええおっさんですが、ここでは未だに「ぼん」って呼ばれます。

他の客もほぼ60~70代、ほんま話も雰囲気もここは昭和でした。

この日は長いこと来てないお客様のボトル整理の日、もう中途半端に残ったウイスキー、ブランデー、焼酎、ただ酒なんでもう片っ端から飲み干し、いよいよ私は呂律が回らなくなって来た頃、気がつけば24時前、もう皆さん就寝の時間なんで粛々と解散。

勢いのついた私は何回もメール貰っていた綺麗どころのお化け見学

そこは祇園ど真ん中の小さなクラブ、21歳~38歳の5人の可愛いメイドさん、いや~いい目の保養になりました。

知り合いとも遭遇し、さっきの反動で若い歌を唄いまくり、そんなこんなで、もうふらふらの私はアフターも無く26時半には帰宅。

聞く所によると今年の節分は吉田神社はがらがら、夜店は開店休業状態、祇園の街も店も通りもどこも空き空き、ところがタクシーの空車は何百台と客待ちで、酔客が歩けない、不況は確実に祇園の街を暗くしていると実感。

ほんまこの不景気は何時位によくなるんでしょう?

祇園や木屋町が寂しいとほんま京都もあかんな~ってつくづく感じた節分の夜でした。

心斎橋そごう売却

今朝のネットニュースでびっくりした事と言えば職業柄やっぱり、セブン&Iホールデイング傘下のそごう本店、心斎橋店の売却です。

どうやらJフロント、つまり大丸、松坂屋グループに売却されるようです。

とこうやって書いているだけで、なんか変な気分、と言うのもそごうが潰れ,西武に吸収されてミレニアムになり、西武が業績悪化してそごうが支えていた物が近年支え切れずイトーヨーカー堂傘下に
大丸と松坂屋がまさかの資本統合でJフロントに。

25年程前、各デパートでテナントや催し物、ギフト等を展開していた私には隔世の感が募ります。

私は半世紀、生きてきましたが、大卒就職時の28年前は一流デパートが潰れたり統合されるって言うことはリアルな話ではなく、更には銀行や証券会社までもこんなになるとは夢にも思いませんでした

そんな私世代の流通業の象徴の一つが心斎橋そごうであり、有楽町そごうでした。

サブプライム問題に端を発した世界恐慌とは関係無く(止めにはなったでしょうが)デパートの再編は進みますが、はてさて20年後、今のデパートがどれだけ残っているのか、私は予想を書き残してタイムカプセルに入れて、70歳の誕生日に見てみようと考えています。

私の予想では地方百貨店はさておき高島屋グループ、伊勢丹グループ、阪急グループ、セブングループこの4つに集約されているような気がします。

当たるかな~!?

節分おばけ祭り

明日は節分お化けが祇園の街をうろちょろします。

お化けと言っても、化け物のお化けではなく、おちょけてお化ける、変装するって意味のお化けです。

昔は節分の厄除けに老女や幼女が「おば髪(け)」という年齢不相応の髪を結ったり、鬼より身を隠す為に普段と異なる格好をしたのが起源で、その風習が形を変えて、段々と色町にひろがり、芸妓さんが割れしのぶを結い、舞妓さんが島田と、髪型をさかさまにしてお化けると洒落て、遊んだそうです。 
その後、髪型だけを変えていた物が、昭和になってから仮装する様になり、この風習を今も「節分おばけ」と呼び、形態は少しずつ変化しながら、近年も祇園の芸、舞妓さんやスナックのホステスさん達が、いろんな仮装をしてこの日は仕事をし客を楽しませます。

この日の芸舞妓さんは、ちょっとした寸劇なんかも披露してくれるので、この日ばかりは普段呼ばれないようなお座敷でも引っぱりだこだそうです。
 
仮装はその時代の風潮や流行を反映して、ホステスさんは25年程前は看護婦さん、20年程前はミニスカポリス、その後はセーラームーン何かが流行り、最近はメイドがトレンド。  

そう言えば椎名林檎の本能が流行ったときは街中が白衣だったのを覚えています。   

明日は僕の知り合いのお店もばんばん仮装大会、この不況の中、今祇園はがらがらですが、明日ばかりは少し賑わう事を京都人として祈るばかりです。

山本モナ嬢

今日は大好きな中島らも風に書きます。

先日、何気に家に帰るなり、闇雲にテレビのスイッチを付けると山本モナのテレビ復帰第一回目の放映だった。

ミニスカのモナ嬢は相変わらず妖艶なオーラーを全身から醸し出し、前にたかじんが、新地のママをやれば、軽く一億稼げるって言うのをふと思い出し、にやって笑ってしまった。

あくまでブラウン管から観ただけの私の印象では、左程反省している雰囲気でもなく、まあよく言えば泰然自若、悪く言えば厚顔無恥って感じの薄笑いを浮かべながら謝罪していた。

それを観ていたうちのかみさんは「この人、ほんま腰軽いわ!」と嫌悪感を剥き出しにしていたが、僕は基本的に腰軽女子は男性にとって天使だと思うので、かみさんの前では一応非難しながら、心の中では拍手喝さいを送っていた。

政治評論家の金さんは、山本モナの「男性不信」って言葉尻を捉えて、かなり激しく非難していたが、あれは金さんがぼろくそ言って視聴者の溜飲を下げ、更には日本人独特の、判官びいき、苛められている同情心からモナへの風当たりを弱くする計算ずくの助け舟、流石だな~って感心した。

実はこの手は、私もよくかみさんが子供を怒る際によく使う手だ。

かみさんは初めは叱っているのだが、その内だんだんエキサイトしてきて怒り出す、もうこうなると何の教育的効果も無くなるので、私が急に切れ鬼のように子供を怒り、時には折檻し出すと急に「そこまでしんでも、かわいそう」と子供をかばい怒りが納まる。

まあ一番損するのはいつも私、でもそれが父親なんだって最近ツクヅク思う。

山本モナを見て、父親としての実感が沸く、自分でも変な精神構造だとつくづく思った。

テーマ : ブログ日記
ジャンル : ブログ

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