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新撰組ってほんまに強かったの? 2

さて新撰組がほんまに強かったの?って検証に入る前に、新撰組がどのように京の人間に畏怖され、そして愛されていたのか?を先にお話します。

新撰組が京の地に降臨し、活動したのはほんの数年ですが、その短い期間で、まるで毎年変態する蝉の如く激しく体制を変えています。

初期は食み出し者の寄せ集め、都人からは蔑みを込め「壬生浪」と呼ばれ、ゆすり、たかり。。食い逃げ当たり前の東から来たごろつき集団でしたが、粛清を重ね徐々に勲功を挙げ、徳川方から報奨金を貰い受け新撰組と名乗り始めた頃からは隊規も厳しくなり、京の一般衆には極力、迷惑を掛けない集団へと生まれ変わって生きます。

京都の人間は基本的に蝙蝠、時の権力が左右どちらにぶれてもいいよう、他所から来た権力集団には着かず離れず御付き合い致しますが、ただ天子様、御所だけには絶対の忠誠を誓うお国柄。

その観点から当時勤皇派の松平容保お墨付きの新撰組は、元々京の人々には受け入れられる土壌は有ったと考えられます。

ここで前回の話に戻りますが、歴史は勝者が作る物、倒幕の志士がさもヒーローで、京の人々が守り通したかのように、テレビドラマや小説で描かれていますが、実際の所、田舎もんの野暮天と扱われていたようです。

更には長州藩関係の志士は、御所に刃を向けた不埒な輩と実際は嫌われていたと伝わります。

そんな中、敗者の新撰組が悪魔、鬼畜と志士側から忌み嫌われていたのに、今に伝わる歴史や国民感情がそうでもないのは、本当は京の庶民、また朝廷からは愛されていた証明になります。

実際問題、美男の沖田、男、近藤勇、鬼神、土方とどちらかと言うとヒーローとして伝わり、新政府の思惑は大きく外れたといえます。

元々、勤皇の志士が浮名を流したり、庇い立てしてもらったのは全て置屋や旅館、料理屋など水商売関係の女性や関係者。
つまり商売絡み、いいお得意先様だったからとも邪推できます。

ちなみに幕末、京都で一番もてたのは誰って言う質問が有れば、答えは本当に簡単で、郷里に許婚が居ながら11人の一般人の恋人を持ち、更には島原、上七軒、祇園、北新地全ての花街の花魁が恋人だった土方を置いて他に誰も居ないでしょう!!天晴れ!歳三。
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