スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

新撰組ってほんまに強かったの? 3

さあいよいよ本題の新撰組ってほんまに強かったん?って考察に入って行きたいと思います。

新撰組一の剣客と言えば沖田 総司、今もドラマや小説等で彼の天才剣士振りは鳴り響いていますが、実際はどうだったんでしょう!?

彼が結核で早死にしたって事は有名ですが、享年27歳、療養期間が2~3年有る為、新撰組で活躍した期間はほんの2~3年と推測されますが、実戦派剣術天然理新流の塾頭を19歳で務めた事、江戸に出てからも、名を上げる為ひたすら戦い、十数か所の道場の代表を駆逐した事からも、少なくとも彼が竹刀剣道に秀でていた事は間違い有りません。

しかしながら竹刀、木刀で仕合を行い、負けた相手に大きな怪我をさせないのが名人と言われる剣道と日本刀を使って少しでも傷を負わせ、命のやり取りを行う剣技剣術では全然別の次元の物。

ゴルフで言えばスクリーンゴルフと、フルバックから回る本コースくらいの差、通信手段で言えば狼煙と電話くらいの差は有るんじゃないか?と思います。

そういう意味では実戦派剣術で、主に木刀で仕合い、骨折者や失明者がばんばん出たと言う理新流は、言い方は露骨ですが、殺し合いに適した流派だったと言えます。

なぜ理心流がそこまで実戦に拘ったのかと言うと、いわゆる名門道場ではない地方の無名田舎道場、弟子も武士でも下級武士ばかり、殆どが百姓出身のやさぐれ者、いわゆる成り上がりたい者ばかり、綺麗な剣術を覚えるより、とにかく強くなって立身出世したいと言うスタートと言うかスタンスが全然違う豪の者の集団だったと考えられます。

理心流の道場主は近藤勇の養父、一応近藤勇が師範で沖田は近藤の弟弟子、入って直に塾頭、後に師範代を努めますが、近藤と仕合って3本に2本は沖田が取っていた、しかもその負けた1本も心から敬愛する兄弟子の近藤に花を持たしていたもの、と伝わっていますし、後の文献でも新撰組時代、竹刀の稽古では土方、山南、安藤、小川、斉藤等の尊攘派が見るのも嫌がった殺人鬼集団を子ども扱いしたそうで、結論から言うと本当に桁違い、ダントツに強かったようです。

更に実戦、殺し合いに於いてもその強さを証明、沖田はいつも少人数で多人数の志士を襲撃、その在籍期間全て最前線で戦い、一度たりとも負けていませんし、目的の相手を逃していません。
史実では池田屋にて謀議をこらしていた20数名の尊皇攘夷派志士に対し、近藤と二人だけで切り込み、九名を切り殺したと伝わります。

新撰組殺人剣法と恐れられた集団剣技と、沖田の強さは異質で、沖田個人が異常に強かったのは先の史実でも証明されていますが、何故そこまで強かったのでしょうか?

私が言うまでも無く、過去の色々な作家や剣道関係者が分析をしていますが、概ね沖田の得意技は突きで、しかもそれが尋常ではない速さ、いわゆる一足踏み込んで三回突きを放った(是は人間業では不可能で現実問題無理だそうです)って言うのはオーバーにしても凄い速さの突きで相手に手傷を負わせ、弱った所を斬り伏せていったようです。

この話は非常に納得でき、戦国時代でも実際問題、圧倒的に斬り伏せる刀より突き下す槍の方が有利だったのは証明されていますが、更に昔の屋根が低く間口も狭い京都の家屋、突きが一番有利だったことは素人でも判ります。

五番町のすっぽんの大市さんや、島原のお茶屋輪違屋さん等には、未だ幕末の斬り合いの傷が残っていますが、屋根や梁、桟に傷跡が有るのは勤皇の志士の刀傷、だから残った刀は刃こぼれをしていたが、新撰組は実戦では突いて来たので傷跡を残さなかったと言われます。

続く
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

こ、このチラチラする野菜は・・・、いつたい何?

Re: No title

> こ、このチラチラする野菜は・・・、いつたい何?

なんかFC2の管理画面なぶっていたら、この野菜達をお借りできました。
プロフィール

酔いどれ九代目

Author:酔いどれ九代目
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。