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本当の都は京都?

私はこよなく京都を愛していますって臆面も無く宣言できます。

22歳から5年近く、京都を離れ実感しました。

それに生業が京漬物の商い、この歳になってしみじみ、京都の地で漬物屋を出来るアドバンテージに感謝です。

そんな私でさえ、びっくりさせられた御仁と先日出会いました、その人曰く

「以前日本の「首都」についてかなり詳しく調べたのですが「東京が首都」であると定めている法律はどこにもないですね。

天皇がいらっしゃるところを「都」としているのが古来からの慣例なのですが、明治時代に明治天皇が「行幸の詔」(簡潔にいえば江戸を見てくるといった内容)により江戸城に入城して以来、まあ東京が仮に「都」として機能しているようで、本当の「都」は今でも京都なんじゃないでしょうか?」

でもこういう事はもう少し以前はかなり声高に論じられていたようで、ネットから転用すると

「東京奠都」と「東京遷都」の語の使い方を巡っては議論がある。一義的には「奠都」は都を定める事をいうのに対して「遷都」は都を移す事をいう。

もともと奠都の語は、明治28年(1895年)に京都市が延暦13年(794年)の平安遷都を「平安奠都千百年記念祭」と称して祝っているように、広く用いられる言葉である。明治31年(1898年)に東京奠都30周年を記念して出版された『奠都三十年』(『太陽』第4巻第9号臨時増刊)のなかでは、東京も京都も帝都であるとしつつ東京遷都という表現も同時に見られ、京都は依然帝都で、政治上の必要から江戸にも帝都を定めたのだから遷都と言うことは妥当ではないとする声(井上頼国)も紹介された。

その後、大正期に入った大正6年(1917年)、東京奠都の本格的な研究を岡部精一が初めて著し、そのなかで「東京の奠鼎(奠都)は遷都にあらず」とし、遷都の発表はなく、今日に至るまで都を東京に遷されたのではなく、東京は京都とともに並立して帝都の首都であることは明らかであるとした。続いて大正8年(1919年)、東京市役所の発行した『東京奠都』も、東京奠都は京都留守居官の廃止で完了したが、「その名義に於ては、いつまでも東西両京の並立で、遷都といふ事は、つひに公然発表せられたことはなく」、「京都も一の帝都であるが、事実に於て遷都の事はいつのまにか行はれてゐた」とした。これらの考え方によると、東京奠都に関しては都を移す「遷都」を語を避け、京都と2つ帝都としたのだから都を定める「奠都」と称すべきであるとされる。

現代では一般に「遷都」の語は首都移転の意味にも使われ、「首都が東京に移された」などとも表現される。『京都の歴史』第七巻は、2度目の東幸(明治2年3月)の際の太政官を東京に移す発表を事実上の遷都宣言とし、事実上の首都の座を東京にわたしたとしている。佐々木克(平13、2001)では、「遷都」より「奠都」が実態を適切に表現するものであったかもしれないとし、京都は都であることを否定されなかったとしながらも、京都が政府機関の置かれる帝都(首都)として復活しなかったため、「奠都」よりも「遷都」が実態を正確に表現しているとしている(同書では首都移転を「遷都」として「東京遷都」が主張されている)。以上のように東京奠都を首都の問題と絡めて論じられることもあるが、現在に至るまで法令上「首都」の定義・規定がなされておらず(第142回国会衆議院特別委員会)、日本における従来の「みやこ」(都・京)と「首都」の関係は定かでない

成る程、解釈によってはまだ京都は都なんだ(笑)
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